【翁の漫画評】HUNTER×HUNTER 冨樫義博 91点
タイトル:HUNTER×HUNTER
作者:冨樫義博
連載期間:1998年~休載中 既刊33巻(2016年8月現在)
評価点:91点
あらすじ(公式引用):
父と同じハンターになるため、そして父に会うため、ゴンの旅が始まった。同じようにハンターになるため試験を受ける、レオリオ・クラピカ・キルアと共に、次々と難関を突破していくが...!?
連載再開、また休載…その一挙手一投足で、これほどまでに世間を騒がせている漫画は他にないだろう。
そしてその都度、幾度となく称賛され、期待され、失望されてきた。
背景が白いのは当たり前、ほぼネームのまま、人物の顔すらまともに描かれていない原稿が掲載されたときは、こんなことがあっていいのかと世間に衝撃を与えた。
<参考>ヨークシン編雑誌掲載時。単行本では修正されている。欄外のメッセージがなんとも…
そして少年ジャンプ史上ぶっちぎりの休載記録。(WJ縛りを除けばたぶん『BASTARD!!』のが上だけど)
もはや載っている方が珍しい漫画として周知され、"冨樫仕事しろ"というネットミームは海外にまで拡散した。
<参考>年度・号数別休載チャート(赤部分が休載号)/「HUNTER×HUNTER Hiatus Chart」より
しかし、それでも人は『HUNTER×HUNTER』を待ち続けている。
その理由はシンプルで、だれもが口を揃えてこう言うのだ。
"載りさえすれば、面白い"
なぜ、『HUNTER×HUNTER』はそんなにも面白いのか?
この評を書くために読み返していて改めて感じたことがいくつかある。
まず休載が多すぎて雑誌掲載時には気付けないのだが、単行本で読むとむちゃくちゃテンポがいい。
展開が早く、中だるみがほとんど皆無。わずか5巻で終わるハンター試験や天空闘技場編などの序盤はもちろん、連載中は長いと感じたGI編やキメラアント編ですらサクサク読めてしまう。
とくにヨークシン編はやはり神がかっていて、臨場感とスピード感が少年漫画のそれじゃない。ゴン・キルア(withレオリオ・ゼパイル競売組)、クラピカ(withノストラード組)、旅団の3視点をカットバックさせながら進んでいく展開は、まさにハリウッド映画を見ている感覚に近かった。
結局、天才の名をほしいままにする冨樫先生の実力を思い知らされた形だ。確かに、これだけ面白ければ文句も言い難くなる。
この展開の早さ、テンポのよさが何故そこまで衝撃的なのか?
それは、掲載紙が「少年ジャンプ」だからだ。はっきり言って、ジャンプ作品は、平気で引き延ばしを行う。
『BLEACH』『トリコ』は言わずもがな、完成度の高い『ONE PIECE』『NARUTO』ですら一部引き延ばしがある。
なぜ引き延ばすのか?
それは、休めないからだ。
休めないから、展開を構想する時間を作るために、引き延ばすしかないのだ。
ではそんな常識には我関せず、好きなだけ休みまくる作家がいたとしたら?
当然、作品を無為に引き延ばす必要はない。休みながらじっくり構想を練ることができるだろう。
つまり冨樫先生は、週刊連載という形式のために作品のクオリティを少しでも下げることを拒んだのだ。そしてそのこだわりは、同時にアシスタントに仕事を任せることができないという枷にも繋がる。
結果として、当然まともに週間で連載することなど物理的に不可能になる。それを無理にやろうとすれば肉体にダメージが溜まり、ますますペースが保てなくなる。
編集部だって、黙って休載を許しているわけではないはずだ。衝突も一度や二度じゃないだろうし、冨樫先生が木多先生ほど開き直っているとも思えない。読者からの悪評も覚悟の上であると思う。
それでも、冨樫先生は『HUNTER×HUNTER』のテンポを守ることを選んだのではないだろうか。
だって、構想の必要もないような、キャラがじゃれてるだけのような話を描いてつなげることは造作もないはずなんだから。顔だけ書いて残りは全てアシスタントに振ってしまえば、腰痛が酷くても週刊連載をこなすことはできるんだから。
でも、それをしないことを選んだ。おそらくは作品のクオリティを守るために。
プロとして、休載は決してほめられたことじゃない。
ましてや、ジャンプには『こち亀』がある。
毎週毎週、休まずに読者に作品を届けることを矜持としてきた手本がある。
でも、プロの形は、一つじゃない。
"載りさえすれば、面白い"
それが続けられる限りは、私は『HUNTER×HUNTER』を待ち続ける。